自由と自由律と
みなさまこんにちは!!
ページをご覧いただき、ありがとうございます!!
本日は、自由と自由律と魔力について考えていきたいと思います。
突然ですが、タロットカードの自由の代表といえば
番号のないTHE FOOL/愚者のカードですよね!!

たとえばタロット占いで愚者のカードが出てきた時、
「もっと自由にしていいんじゃない?」
と言ったり言われたりすることがあると思います。
私の作成した解釈表でも愚者のカードには「未知の世界を恐がらず無邪気に自由をエンジョイする」と書いており、このカードの愚者は冒険の始まりや自由な可能性を象徴しています。
しかし現代を生きる私達には

(ノブレ版の愚者のカードように)
おしり丸出しで陰部を晒しながら街中を歩く自由はない!!!
と言えます。

普通に捕まっちゃいますね
極端なことを言いましたが「自由」には常識やモラル、法律や責任は当然のように含まれているという事になると思います。つまり「自由であること」「心のままに生きること」は、知識であり経験であり技術であり、
訓練が可能なスキルだと言えると思います。
じゃあ、、どうしたらそのスキルは磨けるのか?
その方法の一つとして、
自由律俳句を詠みましょう、
という提案をしたいのです!!
自由律俳句とは?
自由律俳句は自由という律に縛られています。
自由であるべきだ、と自由を課されています。
その中に伝統やリスペクト、革命や破壊、戯れや笑いなど多くのものを内包しています。
自由律俳句を考える時間は「心のままの自分であること」の訓練となります。
そもそも自由律俳句とはなんでしょうか?
自由律俳句(じゆうりつはいく)とは、五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句を言う。季題にとらわれず、感情の自由な律動(内在律・自然律などとも言われる)を表現することに重きが置かれる。
wiki/自由律俳句

俳句や短歌のようなルールは無いんですね
一つの段落に収まる一行の詩というのが自由律俳句だと思っていたら良いのかな、と思います。
定義や歴史などは他のサイトに譲るとして、ここでは自由律俳句を詠むのに必要な知識や心構えを考えていこうと思います。
立川談志師匠が落語とはどうしようもない人間の「業の肯定」と言ったように、私は、

占うことは「本能や傲慢さの肯定」
じゃないかと思っています。
そして自由律俳句を詠むことは「哀しさや孤独の肯定」になるんじゃないかと思っています。
喜・怒・哀・楽の感情のうち「哀」の感情に折り畳まれている孤独感や悲しみ、日々の生活で感じる落胆や「手を振られたから手を振り返したら、自分の後ろの人に手を振っていた」時の恥ずかしさ….
なんかを、
「あるある、いいじゃん、かっこいいじゃん」なんて共感して肯定してくれるような句が、自由律俳句にはとてもよく似合っているんじゃないかと思っています。
推敲のススメ
自由律俳句と言えば、日本を旅しながら1万2000句あまりを詠んだ俳人、種田山頭火が有名です。
山頭火の書いた行乞記(ぎょうこつき)や其中日記(ごちゅうにっき)は、今は青空文庫でも読むことができます。
その文章を読んでいると、山頭火の句に対する様々な思いを知ることが出来ます。
句のよしあしは問題ぢやない、句が出来すぎるほどの心にウソはないかを省みるべきである。
青空文庫/其中日記(2)
感動なくして制作するなかれ。
青空文庫/其中日記十三の続
ホントウの句は下手でもよろしいが、ウソの句は上手でも駄目。
また、その日記の端々に”夜を徹して句作推敲”したり、”取捨推敲に苦しめられ”ている様子を伺い知ることが出来ます。
苦を観照するだけの余裕を持つて初めて句が出来る
青空文庫/其中日記(1)
山頭火は人生の様々な苦しさと向き合い、ウソのないホントウの自分を見つめることで句作のエネルギーを生み出していたのかもしれません。
其中日記十三の続にはこう書いてあります。
“句は飽くまで推敲すべし、一句に拘泥するは非“
※拘泥(こうでい)….一つのことに必要以上にこだわること
がっかりした、寂しかった、恥ずかしかった、無力だった、失敗してしまった・・・そんな考えに囚われてしまいそうな時、固執し、執着してしまいそうな時、その状況を「自由律俳句」として詠むために、言葉を足したり削ったり、視点を変えたりと様々な角度から推敲を重ねる。
その行動が落ち込んだ魔力(MP)を回復させる時間になると思っています。
喜・怒・哀・楽
表現には向き不向きがあり、個人的には自由律俳句は「哀しみや孤独の肯定」が似合うと思っています。
「喜」や「楽」を表現するのは、言葉をたくさん積み重ねていく詩やポエムや歌の表現等の方が向いている気がしますし
「怒」を表現するのも自由律俳句の短い言葉だけでは説明が足りなかったり、勘違いされる可能性もあります。
攻撃的に勘違いされると批判や反論をされやすくなり、言いたいことが伝わらなくなってしまいます。
その反面、哀しみは少しの部分を抽出しても胸を締め付けるような表現が出来やすいのです。

哀しみはちょっぴりでもエモいんですね
たとえば….
洗濯物を干している時、洗ったシャツの枚数と、なんとなく用意したハンガーの数がぴったり一致した時!!
ちょっぴり嬉しくないですか?(笑)
その喜びを自由律俳句で表現したとします。
それは喜怒哀楽のうちの「喜」や「楽」じゃないのか?と思われると思いますが、句にする、という行為をした時からその感情が少し変わってくると思います。
ハンガーと洋服が一致したその喜びを共感できる相手や共感したい相手がいない時に、誰かに教えたい知って欲しいと思って句に残すことが多いと思いますし、その少しの喜びがとても大きく感じるほど心が繊細になっている時だとも言えると思います。
その情緒を何故か読み手(鑑賞者)は感じてしまうのです。
読み手(鑑賞者)も同じような孤独や痛みを知っているからだと思っています。
自由律俳句の作り方
自由律俳句は定義があいまいなので自己申告制(笑)だとも言えます。
ですので、自分が自由律俳句と思って推敲したものならば、(他の俳人がどう思うかは別として)それは自由律俳句となります。
”句のよしあしは問題ぢやない”
”心にウソはないかを省みるべきである”
上で山頭火が言って居たように、まず自分の本当の心と向き合うことが大切です。
向き合って感じたこと考えたこと思い出したこと、それを言葉にして推敲していきます。
単語を変更したり、順番を入れ替えたり、言葉を短く削り、研ぎ澄ましながら、誰かにササルような表現を考えていきます。

どんどん詠んでいきましょう!!

駄作を詠んでも捕まりませんからね!!
個人的に思うコツとしては、自分が経験をした思いは全国で3000万人の人がまったく同じ経験をしている、と思うこと。
同じ、悔しい、悲しい、寂しい、侘しい、恥ずかしい思いをした3000万人に届けるように書くといいと思います。
寂しいのは自分も一緒。
恥ずかしい気持ち、分かるよ。
悔しいことってキツイよね。
あるある。でも、なんとか生きてるよ。
思い煩う事があるなら、
そのど真ん中で痛みを感じて言葉にして
そんな自分を過去のモノにしてしまう。
そんなふうに誰かの哀しみや過去の自分と共感して自分を見つめること。

やっぱり孤独の肯定ですね

3000万人って・・
日本人の4人に1人ですよ・・・

多すぎやしませんかね・・・
ここで、俳人達の自由律俳句を少し紹介します
どうにもならない人間が雨を観る
(種田山頭火)
死にたくも生きたくもない風が触れてゆく
(種田山頭火)
寝るよりほかない月を見てゐる
(種田山頭火)
月がのぼつて何をまつでもなく
(種田山頭火)
咳をしても一人
(尾崎放哉)
一日物云はず蝶の影さす
(尾崎放哉)
朝早い道のいぬころ
(尾崎放哉)
↓こんなに短い句もあります!
おとはしぐれか
(種田山頭火)
山頭火が厠でポツリポツリと雨の音を聞いた時の句
アガル自由律俳句
今回は誰でも始めやすい「自由律俳句」をご紹介しました。
「神や神託や占い」と「演劇や詩」は切っても切れない関係にあると思います。
そして魔力とは、精神力、人間力だとも思っています。
ヒーリングする側もされる側も、自分という現象を内観し表現し推敲することで、さらなる魔力が宿ると信じています。
さあ、はじめに、自由律俳句を詠んでみましょう!!

最後までお読み頂き、ありがとうございました!!
●タロットカード解釈早見表
●自由律俳句のキーワードカード作りました
●俳人山頭火の足跡を知る